平昌五輪(ピョンチャンオリンピック)フィギュアスケート男子で2連覇を制した羽生結弦選手(23)。
ケガから3か月にもかかわらず、圧巻の演技で「絶対王者」などと呼ばれている。
目次
羽生選手の金メダルの影に祈りあり!
その羽生選手の金メダルや無事に演技をすることを祈るファンが増えていると、ここ数日ネットニュースでよく見かける。
日本中のファンが応援していることは想像に難くない。
が、金メダル獲得や無事に演技をすることなどかなり具体的なご祈念の内容が明らかになったのはなぜだろうか?
それは・・・・・
羽生選手が平昌五輪の演技(フリープログラム)で使っている「SEIMEI」という曲に関係している。
この「SEIMEI」という曲は、映画「陰陽師(おんみょうじ)」の劇中曲をアレンジしたものである。
羽生選手はこの「SEIMEI」を2015年春からフリープログラムで使っている。
この「SEIMEI」は何を指すかというと、平安時代の陰陽師安倍晴明のことである。
陰陽師安倍晴明とはどんな人?
安倍 晴明(あべ の せいめい/ はるあき/ はるあきら)
921年(延喜21年)に摂津国阿倍野(現・大阪市阿倍野区)に生まれたとされる。
また、生地については、奈良県桜井市安倍とする伝承もある。
幼少の頃については確かな記録がないが、陰陽師賀茂忠行・保憲父子に陰陽道を学び、天文道を伝授されたという。加
茂氏の門下生であり、のちに両家は二大陰陽家となる。
960年(天徳4年)40歳で天文得業生(陰陽寮に所属し天文博士から天文道を学ぶ学生の職)であった晴明は村上天皇に占いを命ぜられており、出世は遅れていたが占いの才能は既に貴族社会で認められていたことが伺える。
50歳頃、天文博士に任ぜられる。
貞元2年(977年)、保憲が没した頃から陰陽道内で頭角を現す。陰陽寮を束ねる陰陽頭に就任することは無かったが、位階はその頭よりも上位にあった。
979年(天元2年)、59歳の晴明は当時の皇太子師貞親王(後の花山天皇)の命で那智山の天狗を封ずる儀式を行う。
このころから花山天皇の信頼を受けるようになったらしく、記録にしばしば晴明が占いや陰陽道の儀式を行った様子が見られるようになる。
花山天皇の退位後は、一条天皇や藤原道長の信頼を集めるようになった。
陰陽師は全ての事象が陰陽と木・火・土・金・水の五行の組み合わせによって成り立っているとする夏、殷(商)王朝時代にはじまり周王朝時代にほぼ完成した中国古代の陰陽五行思想に立脚している。
これと密接な関連を持つ天文学、暦学、易学、時計等をも管掌した日本独自の職である。
陰陽師(おんみょうじ、おんようじ)は、古代日本の律令制下において中務省の陰陽寮に属した官職の1つである。
陰陽五行思想に基づいた陰陽道によって占筮(せんぜい)及び地相などを職掌とする方技(技術系の官人、技官)として配置された者を指す。
それら官人が後には本来の律令規定を超えて占術など方術や、祭祀を司るようになったために陰陽寮に属する者全てを指すようになった。
更には中世以降の民間において個人的に占術等を行う非官人の者をも指すようになり、「声聞師」と呼ばれる場合もあった。
中・近世においては民間で私的祈祷や占術を行う者を称し、中には神職の一種のように見られる者も存在したという。(出典)
これは日本に限らず、西洋占星術の発達した中東諸国でもそうであったように、古代の(星)占い師は占い師であり、天文学者でもあった。
安倍晴明も50歳頃、天文博士になっている。
さて、安倍晴明のことがわかったところで、安倍晴明ゆかりの曲「SEIMEI」と羽生選手のファンのご祈念とのつながりを見ていこう!
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安倍晴明ゆかりの3つの神社
上述したように、羽生選手は2015年春にフリープログラムの曲に「SEIMEI」を選ぶと、東京葛飾区の熊野神社では参拝客が約2倍に増えた。
熊野神社(東京・葛飾区)
熊野神社は約1000年前、安倍晴明が創建。
都内で唯一、晴明にゆかりのある神社と言われている。
羽生選手が「SEIMEI」を選んだことで、聖地として注目されるようになった。
羽生選手のファンが必勝祈願に訪れたことが口コミで広がり、参拝客は約2倍に増えたという。(出典)
熊野神社にはこの日も、羽生の活躍を願うファンが訪れた。
境内にくくりつけられた絵馬のほとんどが、羽生選手の活躍を祈願するものだった。
それは例えば・・・
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その手で金メダルをつかみ取れ!
最高の演技を!
中には、英語で書かれた応援メッセージもあったそうだ。
熊野神社宮司の千島俊司さん(44)は次のように話す。
九州や東北、外国人の方も含めて、たくさんの方が来て下さいます。(出典)
千島さんによれば、羽生選手が演技をした16日、17日にもたくさんのファンがお祈りに来たそうだ。
その一人である70代の女性(東京・八王子市)は、次のように話した。
安倍晴明さんの力を借りにきた。とにかくお祈りすることしかできない。」絵馬に「転倒せず、けがをせず、美しい演技で金メダルを取れますように」と書き込み、奉納した。
宮司の千島さんからもエールが送られた!
ファンの方は、年中お祈りに来ている。羽生選手には、ぜひ金メダルを取って欲しい。 (出典)
続いて京都にあるファンの聖地・・・・・・
晴明神社である。
晴明神社(京都上京区)
京都の晴明神社は、安倍晴明の屋敷跡に建てられた神社で、周辺には京都御所や二条城など、京都の要所がある。
羽生選手はこの晴明神社を過去2度参拝しており、その時も絵馬↓も残っている。
写真左が平成27年(2015)7月の絵馬、で、そこには・・・
ケガなく、最後まで自分らしくできますように。羽生弓弦 平成27年7月2日
とある。
その右の絵馬には・・・
思い描く演技ができますように。そして、私の演技がきっかけで、皆さんに幸せがおとずれますように 2017.6.4 羽生 弓弦
とある。 (出典)
この2つの絵馬から、羽生
選手は京都の晴明神社を平成27年、29年と2度参拝したことがわかるだろう。
初めてショートプログラムで「SEIMEI」を使った平成27年、羽生選手は晴明神社を訪れ、祈りをささげたという。
僕が踊っていいのか、おそれ多いですがどうぞお許しください
と。なんとも微笑ましいエピソードである。
山口宮司は、この時の羽生選手の印象を「予備知識を学んだ上で境内を見学する真摯な姿」とした上で、次のように語っている。
事前に予備知識を学んだ上それだけ晴明公を演じることへの思い入れがあったのだなと、大きな感動を覚えた。
山口宮司も
日ごろの練習の成果をいかんなく発揮してほしい
とエールを送っていた。
ちなみに、晴明神社にもファンが押し寄せ、絵馬の半数以上をけがの回復や五輪での活躍など羽生選手へのへのあふれる思いで埋め尽くしている。
そのため、山口宮司は
絵馬掛けを増やした
と話した。
3つめの聖地は、神戸市東灘区の弓弦羽(ゆづるは)神社である。
弓弦羽神社(神戸 東灘区)
神戸市東灘区の弓弦羽(ゆづるは)神社は羽生選手と名前が似ていることからファンの“聖地”となっている。
神社によると、羽生選手は神社近くに住むファンから絵馬やお守りを贈られたことが縁で、平成22年(2010)に初めて参拝。
それから何度も訪れているという。
東日本大震災の甚大な被害を受けた宮城県出身の羽生。阪神大震災で傷ついた神戸にある神社で、被災者らの背中を押す演技を絵馬に記して誓っていた。
全力で試合に臨めますように。私が少しでも導きの光になれますように
と。
澤田政泰宮司(64)はと当時を振り返り、
素直で明るく礼儀正しい好青年だった(出典)
と話す。
弓弦羽神社には、けがの回復や五輪本番での活躍を祈る絵馬が数多く奉納されている。
神社には羽生選手の活躍とともにファンが急増。
特に金メダルを獲得した前回のソチ五輪以降は、関西でフィギュアの大会などがあると、お守りなどを求め、長蛇の列ができるようになっているという。
絵馬2千枚のうち半数が羽生選手のファンによるもので、活躍を祈る内容が並んでいるという。
最高の演技が出来ますように
ケガが治り平昌オリンピックで金メダルに輝きますように
平昌オリンピックで最高の演技が出来ますように
澤田宮司は
日本のみんなが期待している。頑張ってほしい
エールを送る一方、
まだまだ将来がある選手。無理はしないでほしい
と気遣いを見せた!
さいごに・・・
これら3神社を参拝したファンたちは、羽生選手の五輪二連覇にさぞや灌漑ひとしおだろう!
羽生選手おめでとう!!
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